猛烈に悲しい・・

ある日、LINEでととやの大将が亡くなった・・・と親友から知らされた。信じられない。愕然とした。親友の連絡が誤報であることに望みを託して、大将の携帯アドレスにメールしてみた。少し時間をおいて、『Delivery to the following recipient failed permanently』のメッセージが。やはり誤報ではなかったのだと落胆。もう二度と大将に会えない、笑顔が見れないのだと思うと涙がこみ上げてくる。あの私の好みど真ん中の最高の江戸前鮨を食べる事はできなくなってしまった。
今年の10月に店へ行き、とくに変わったことはなかったと友人から聞いたのだが、奥様から、病を隠して、最後まで凛として店に立ち続けた・・と聞かされた。10月末に入院された時は治療時期を大きく逃していて、1ヶ月持たず亡くなったと。そんなになるまで、客に気づかれる事もなく、超一流の鮨を提供しつづけたなんて・・

あれは、いつ頃だっただろうか。私も大学を辞めて18年も経つのだから、多分25年か30年近く前のことだと思う。まだまだ私は若かったし、江戸前鮨なんか殆ど知らなかったのだが、グルメを気取ってた若造は、学会で地方へ行く時は(あの頃は毎年何回も行っていた気がする)、色々調べてその日の夕食の店を選び、やがてあの日あの店にたどり着いたのだ。あの頃は『さとなお氏』の影響が大きかった気がする。やっとたどり着いた店は、意外と小さな店で、坊主頭で背が高く、ニコっともしない大将は威圧感があって、殆ど会話することもなく、若造は黙って食べていたような、途中から酔っ払って、くだらない事を話したような・・・あまりに古い話なので、記憶は不確かだが、一番奥の席に座った事は覚えている。

 それからも、学会で東京へ行くと、所謂江戸前鮨の名店を色々訪ねた。銀座から始まり、人形町、浅草、西大島、六本木、そして横浜・・・でも、気がつけばまた東銀座のあの店へ戻っていった。そしていつの頃からか、『ととや』以外に行かなくなっていた。さとなお氏の言葉を借りると、『赤酢、おぼろ、煮きりを使った正統江戸前。小さめの握り。酢飯が固めで、口の中でのほぐれが気持ちよい。酢も塩も強めだが、握り全体だととても優しい味。どちらかというと女鮨。とても洗練されている・・・』のだそうだ。
大将は、基本的に無愛想で、何度行っても、そう簡単にはフレンドリーな面なんか見せない。それが如何にも江戸前鮨職人らしく、素敵だった。でも、何度か通ってると、少しずつ笑顔を見ることができた。色んな思い出があって、思い出そうとすると、泣けてくる。悲しい・・
友人に呼び出され、ミニ同窓会を開いた時もあった。ある時、同い年である事がわかって、泥酔した私は初めてタメ口で話した。少し早めに行くと、小上がりで寝そべっていたこともあった。あん肝の季節に来いと言われたが、なかなか都合よく行けず、若干旬を外して行ってしまった時、たまたま今日はいいあん肝があったと出してくれたこともあった。美味しかったよ大将。今日は、接待だというと、国産松茸をたっぷり使ったものを頂いたことも・・・。いつも、一口食べる度に、ああ旨い・・・と心のなかで言いながら(時に口にだして)、鮨をほおばっていた。真子鰈も、鯵も、トロも、漬けも、新子も・・・全部美味しかったよ。

大将とは全く異なり、いつも愛想のいい女将さん。そして、突然姿を現した息子。一度消えて戻ってきた息子。彼をまだまだ半人前以下の扱いしかしない大将。これから3人で頑張るところだっただろうに・・・どうしたっていうの?何故なの?



ああ・・・
悲しい。
心からご冥福をお祈りします。そして、奥様、ご子息の将来に幸あらんことを。