ラストチャンス

大正14年の父と昭和9年生まれの母。
父より9歳年下の母は若い・・・と、子供の頃ずっと思っていた。そんな母だが、もう92歳に。徐々に足腰が衰え、認知能力も低下している。こればかりは止めようがない。なんでもテキパキできた母なのだが、徐々に何もできなくなっている。長い間、私は名前で呼ばれてない。要介護度も1から始まり、気がつくと5になってしまった。自宅介護が限界に近づいているのは間違いない。当然こんな状態では、外食も旅行もままならない。ただ、負け惜しみではなく、この状態を、ここまで育ててもらった母にできる最後の親孝行のチャンスだと前向きに考えている。ある日ポックリ逝ってしまうのに比べたら、まだまだ何年も親孝行のチャンスはあるのです。
 かみさんの負担も半端なくなってきた。本当にありがたいし申し訳なく思っているが、もう少し耐えてください。もう少しですから・・

 ※副産物だが、買い物や料理が上手になってきた。料理系のYouTubeのおかげもあり、和食・中華・イタリアン・・結構楽しくなってきた(^^♪

 

 

 

駆け抜ける歓び?

小学生の頃、多分親父が買ったと思われる自動車雑誌が1冊あり、車の値段まで暗記していた記憶がある。プリンスグロリア・スーパー6は、101万だったかな。プリンス・スカイライン2000GT,ダットサン・フェアレディー(SR311)なんかがお気に入り。その後、何と言っても、スカイラインGTRとフェアレディZ432が憧れで、ニッサンR381は世界で一番速い車だと信じていた。あの頃、日産(ダットサン+プリンス)は間違いなく輝いていた。

https://www.nissan.co.jp/HERITAGE/DETAIL/47.html 



免許を取ってからは、所謂スポーツカーばかり乗り継いできた。最初は71レビン。レカロのシートを付け、モモのステアリングを握り、カンパニョロのホイールにミシュランのタイヤを履かせ、やまなみハイウェイや阿蘇周囲を走り回った。その後、プロコル・ハルムの青い影のCMに惹かれ、シルビアK’sを買った。ミッドシップのツーシーター、少しオープンカー気分も味わいたくて、MR2を。子供の頃、憧れだったGTR(32)が発売されると飛びついた。嫁に泣きついて買ってしまった。

しばらくしてトミーカイラに持ち込んで、モンスター化した。その後盗難にあい、保険で33GTRを買いなおしたが、またもや盗難に。バイエルンの「駆けぬける歓び」が知りたくてM3。リセールバリューが非常に良かったので、調子に乗ってモンスターM5にも手をのばした(収入を考えると全く分不相応)。この時は、タイヤ4本盗難に・・。ちょっと反省して、なんとなくアルファロメオ156にしてみたが、あまりおもしろくなくて、ルノーメガーヌRSにした。これもやっぱりあまり面白くなくて・・・。ゴルフRにしてみた。こいつが意外に秀逸で、かなり満足。買い物から峠道まで、そしてニュルブルクリンクまで^^; エンジンもシャシーも満足。一生に一度はポルシェというものにも乗りたくて、981ケイマンにも少しだけ乗ってみた。ホンダS660には1年だけ。そしてゴルフRの次は、ティグアンRにしてみた。始めてのSUVだった。目線が高くなって運転楽チンだが、ちょっと大きすぎるなあ・・と思っていたら、ゴルフR20yearsという限定車が出ましたよ・・・という誘い文句に釣られて買ってしまった。文句なくいい車だ。中国にのめりこんで、会社が傾いているかもしれないが、このドイツ生産のこの車に文句はない。

70歳になったら、大人しくミディアムクラスのベンツにでも乗ろうと思っていたけど、20%近くの株を中国に持たれて、取り返しのつかない状態の会社の車には、もう期待できない。最後はベンツと思っていたけど、

最後はクラウンかなあ・・

 

 

 

 

 

 

 

そろそろかなあ・・


徐々にだけど、確実に母の認知症は進行している。昨日できたことが、明日できるとは限らない。かみさんの負担が徐々に大きくなり、そろそろ限界だと思う。現在デイサービスは、週2回、月に2-3度のショートステイだが、施設に入所する時期も近づいてきたと感じる。ボロボロになった母親だけど、一緒に食事をできるのは、そろそろ終わりだと思うと、次に一歩になかなか踏み出せない。時々見せてくれる笑顔は素敵だし、子供の頃から、お世話になっていた膨大な記憶が、蘇ってくるし・・

タイムが天寿を全うしました

愛犬のタイム(ミニチュア・シュナウザー)が令和7年12月12日朝息を引き取りました。20歳を目指していた超老犬でしたが、やっぱり20歳の壁は大きかった。19歳を越えてから、体重減少が止まらなくなり、足腰も弱くなり、やがて寝たきりとなりました。子供の頃から、決まったドライのドックフードとリンゴしか、食べさませんでしたが、ここに来て、様々な柔らかいドッグフードもトライし、最後は流動食を10ccのシリンジで流し込んでいましたが、それでも多重減少を止める事はできず、少し前から、若干息苦しい感じの呼吸となり、今朝静かに息を引き取りました。19歳と8ヶ月も、楽しい時間を過ごせました。愛犬には本当に感謝です。

19歳の誕生日の写真


※幸い仕事場は、暗くて、泣きべそかいてても、気づかれませんでした。

 

平和墓地

平和墓地にて集合写真(昭和41年)

隠居した祖父が住んでいた福知山市堀の家のすぐ南側に平和墓地と呼ばれる緑地がある。そこは、旧福知山陸軍墓地で、戦前は、福知山陸軍埋葬地で、終戦後荒廃しつつあったのを昭和32年(私が生まれた年)に再建したらしい。この墓地には、幼い頃何度も行っている。また、祖父母の家に親戚一同が集まると、ここで集合してお弁当を食べたりした記憶があるが、ここに誰が埋葬されているのか、その成り立ちがどうなのか・・・考えたことがなかった。「墓地は中央の階段を中心に6段の雛壇状に造成され、それぞれの段に一列ずつ墓標が並んで」いて、最上段には、忠霊塔がある。元々は「滿洲事變戰歿者合同墓碑」だったらしい。

http://shinkokunippon.blog122.fc2.com/blog-entry-1058.html 
https://besankosyashin.blog.fc2.com/blog-entry-525.html 

※祖父母の住んでいた福知山堀は、福知山陸軍練兵場にエリア内になる。

和田くん

和田くんは、3月31日午後8時40分に逝ったらしい。
奥さんが、私に見習って、耳元でサイモンとガーファンクルをかけると、腕と指がピクっと動いたと言っておられた。逝く間際、音楽は彼の耳に届いたのかもしれない。和田くん行ってらっしゃい。私はもう少しこっちで頑張ってから、そっちへ行きますね。また、珈琲もお酒も飲もうね。

合掌

Wくん その2

 眼科医会の健保説明会をブッチして、お見舞いに行った。重要性を天秤にかけたら当然かな。ただ、お見舞いという呼び方がふさわしいのかどうか微妙な状況に彼はいた。焦らずに車を運転して、最近慣れ親しんでいる枚方市へと向かい、彼がサイモンとガーファンクル、特にアート・ガーファンクルが好きだったのを思い出して、S&Gの曲を掛けながら運転したが、ちょっと泣きそうになった。病院について、小島くんから聞いている7階西病棟に向かった。事務員の対応はいかにも公務員的で、最低やなあ・・と思いつつ、7階へ。間違って、7階東に行ってしまい、病室の名前が彼の名前と違うことに、愕然とした。えっ間に合わなかったのか・・と、ちょっと凍りついていたが、病棟間違いだったことに安堵して、7階西へ。彼はベッドに横たわっていたが、もう深い昏睡状態にあり、呼びかけには殆ど反応がないようだった。時々ぴくっと反応があったのは、やっと来たんか。遅いで・・と怒っていたのかもしれない。
 手元にあった、自分で焙煎したブラジルのショコラ・ピーベリーを淹れてポットに詰めて持って来ていたが、香りは彼に届いたのだろうか。南米珈琲のブルーマウンテンにすべきだったのかもしれない。珈琲をコップに注ぎ、歯ブラシ代わりのスポンジに珈琲をたっぷりつけて口に運んだが、ちょっと熱くて反応したのか、香りや味が届いたのかは微妙だった。これが高校1年から飲み続けてきたが、彼が飲む最後の珈琲になるのかもしれない。もう少し早く来るべきだった。肝性昏睡のせいか、モルヒネのせいなのか、彼を深い眠りから呼び戻すことは不可能だった。スマホYouTube MusicでS&Gの曲をかけ、かつて彼が口ずさんだことがある曲を耳元で再生してみたが、これも無駄だった。
 でも、長い間の苦しみから開放されて、安らかに眠っているように思え、それ以上無理に呼びかけたり、起こしたりすることは出来なかった。お見舞いというより、もう生きている間は退院することのない病棟で安らかに眠る友人に別れを告げて帰ってきました。