紅葉にはまだ早い

 今日は、久しぶりに京都への墓参です。目的の墓は、左京区鹿ケ谷若王子山町同志社墓地の近くにあります。M田家の墓。血の繋がっていない70過ぎの母が、膝の調子が良くないのに行こうと言うのですから、血縁のある我々が行かない訳にゆきませぬ。我々が行かなくなれば無縁墓地になってしまいそう・・・・。ここに眠るのは、大正14年6月12日に60歳で亡くなった曽祖父於兎次郎とその40年以上後の昭和44年2月28日92歳で亡くなった曾祖母八重。父方祖母の両親です。曽祖父は大正14年死去ですので、全く知りませんが、曾祖母は昭和30年代に数年、近くに暮らした事があり、白髪と丸顔を何となく覚えています。可愛がっていただきました。
 今回の墓参は訳あって南禅寺側から。地下鉄東西線蹴上駅を下車した後、インクライン跡を通り、疎水横の道を通り、南禅寺へ。明治時代に琵琶湖から引いた疎水は今も勢いよく流れています。疎水沿いの道を通り、日本最古の水力発電所?横を抜け、紅葉の見ごろにはまだ少し早い南禅寺境内へ。南禅寺水路閣のレンガ造りと紅葉のコントラストは中々いいものです。
 ここからは、険しい山道。南禅寺の横を抜けて裏山へ入ります。地名で言うと、南禅寺福地町・粟田口大日山町を抜けて、鹿ケ谷若王子山町へ。よく分かりませんが、若王子山へ入ると道は平坦になります。頂上付近に同志社墓地があり、ここに立派な新島襄の墓があります。ここの紅葉だけが非常に美しいのは、さすが同志社そこを過ぎて、少し下ったところに目的の墓地があります。このM田家の墓の近くには、尾崎と平田とか聞き覚えのある名前の墓が並んでいます。私が写真係でサボっている間に、母と兄と私の嫁の3名はしっかり掃除をしておりました。この墓の横にH田八郎の墓があり、家系図を見ると、曾祖母八重の父。つまり高祖父?の墓ということになります。
  
 墓参をすまして下山。熊野若王子神社へ向かいます。昔は茶店があったそうで、かつてその残骸がありましたが、もう痕跡もありません。神社は、辛うじて4個の弁当が残っていて、私は『わっぱ飯』を境内で頂きました。もう、帰りたかったのですが、哲学の道銀閣まで歩くことになり疲労困憊の一日でした。

おまけ:亡き父は、時代劇といえば土方歳三栗塚旭が一番だと言っていました。その氏の店が哲学の道の一番南側の若王子神社近くにあり、かつて墓参後何度か、パンと珈琲か何かを頂いた記憶があったので、行ってみると・・・・若干廃墟のよう?恐る恐る降りてゆくと、不法侵入者扱い?!地の底から『やってませんよ』と声が・・・その声が何となく栗塚旭風?