日本酒を飲むようになって、40年になるけど、今思う本当に美味しい酒に出会ったのは、15−6年前だろうか。NHKは見ていないのだが、何故かあの本に出会ったしまった。『純米酒を極める』に 

カラー版 極上の純米酒ガイド (光文社新書)

カラー版 極上の純米酒ガイド (光文社新書)

・・。医者の端くれとして(?)、何事も文献から入るスタンスを大切にしているもので(笑)、この聖典を頼りに酒を探し始めた。最初に見つけたのが、室蘭の酒本酒店と埼玉の池田屋酒店だった気がする。その後素敵な酒屋さんをたくさん知ることになったが。でも鷹勇に関しては、完全に池田屋さんが悪い。この店で最初に買った鷹勇があまりに美味しかったのだ。すぐにその世界にどっぷりはまりかかっていた時に、坂本杜氏最後の作品・・なんて言葉に負けて、若干焦りを感じつつ、鷹勇の割合がどんどん大きくなってしまった。だから、一番多く呑んだのは、H19 から21年かも。一番旨かったのはH9年の山廃。そろそろ、鷹勇ワールドから卒業しないいけないのだが、今日も、60歳の記念日用にとって置いた私にとって特別の鷹勇を頂きました。平成14年BYの鷹勇強力。多分に先入観が支配しているのだろうが、冷も燗も全て旨い。満足な味わい。語彙が不足していて、残念なコメントになるのだが、こいつは確かに旨い・・


 淡々と50代最後の日が過ぎていく。子供の頃、自分が60歳になるなんて、想像できなかった。凄い爺というか、精神的に老成しているイメージを抱いていた。鏡で自分の顔を見ると、えらい老けたなあ・・と思うのだが、普段はあまり鏡で自分の顔をまじまじと見ることはないし、精神的には昔とあまり変わっていないのだ。他人の自分に対する接し方とか、鏡や写真に写る自分自身を見て、いい年になったんだと認識するが、それがなければ、子供の頃とあまり変わっていない気もする。ただ、速く走れなかったり、ちょっと走ると動悸がするだけ^^; ボケが始まるまでは、そんな感じで年老いていくのだろうか。でも、カウントダウンが始まった。あと4時間もない最後の50歳代を大切に過ごさねば。50歳代にお別れの酒は、やはり、とっておきの鷹勇にしましょ。その後は・・・

 










今年は、久しぶりに甲子園に足を運ぼうと決めたので、オープン戦から始まって5回目の甲子園です。ヤクルトの事はよく知らないが、阪神の先発は立ち姿の美しい能見くん。もうベテランになってしまった彼は、昨年と違って比較的安定したピッチングをしています。ただ、何と言っても、かなり重症化したタイムリー欠乏症で8連敗中の阪神が心配で仕方ないのです。振り向けば横浜がそこにいるのです。かつて大型連敗を専売特許としていた我が阪神だけに、新記録でも作られたら大変なので、気合をいれるべく、診察終了後急いで甲子園へかけつけました。記録を見ると、最高で12連敗のようで、1998、99年と2回もしていますが、連勝記録は1937年秋と1946年の14連勝で、はるか昔です。
 連敗脱出の為、大きく打順を入れ替え中で、この日の打順は?鳥谷敬・?上本博紀・?糸井嘉男・?福留孝介・?大山悠輔・?郄山俊・?糸原健斗・?梅野隆太郎・?能見篤史。鳥谷ひとり好調を維持していて、ウエポンはボールに食らいつく姿勢が伝わってくる。糸井はどん底から少し這い上がりつつあるのだが、福留があかん。大山はまだヒット(-)。高山が期待の半分ぐらいしか活躍してくれないし、糸原の打率は220、梅ちゃんは193、能見は063。この打線では、今日も期待薄と思ってたら、上本が死球、糸井がヒットの後に盗塁して、1死23塁とお膳立てが整ったのに、福留は三振。そんな期待がしぼんだ中、大山が奇跡的な?ホームラン!久しぶりに興奮しました。前の席で矢野のユニフォームを着たお母さんとハイタッチ。その後は、流石連敗中らしく、チャンスを潰してばかりでしたが、桑原・マテオ・ドリスで何とか逃げ切り連敗脱出成功しました。久しぶりに六甲颪を最後まで歌って帰宅しました。

内科の大きな学会が大阪であるらしく、私の数少ない友人が久しぶりに集まってくれました。同級生なのですが、皆色々あって、一番年上は64歳で、私が一番下で59歳、平均61歳の4人です。循環器・呼吸器・整形外科、そして眼科とバラバラなのですが、当時南大分明磧9組の4の植木ビルに住んでいた3名とジャスコ裏の田中町首藤アパートに住んでいた親友1人の計4人です。学費生活費全てを自分で稼ぎ出しながらの学生生活を送っていた循環器のカンちゃん。当時私の人生の師匠のように、新たな一歩を踏み出す時、いつも意見を諮問していていた呼吸器のM本さん。予想通り私には逆立ちしても真似ができない楽しい人生を歩んでいるようです。整形外科のN川氏は、よく理解できないところが多い奴ですが、昨日も意外と(?)とてもいい奴であることを確認しました。
この4人で、出会いから40年ほど経過して、私のお気に入りの店『櫓仁』で会食できるなんて、何だか夢のようで、酒が進むほどに、涙がでるほど懐かしい話を何度も何度も蒸し返しながら。皆、医師としての歩みも半ばを過ぎて、終盤に差し掛かってくると、どんなエンディングにするのか、それぞれの思いがあるようでした。あまりに懐かしい気分に支配されたので、いつものように、延岡で整形外科しているT見さんに電話を入れ、ぐだぐだ思い出せないような重要事項について話をしてると、あっという間に3時間以上も経過してしまいました。立林くん、やかましくしてゴメンね。



 歴史的な逆転試合だった^^;
 この日、実は甲子園にいました。最初から、少し雨がちで風も強くて少し寒いくらい。藤浪の塩カルビ焼きそばを私が、北条の明太子焼きそばをカミさんが食べつつ観戦開始。本来の先発の横山くんが体調不良で、先発はルーキーの福永。前日からの嫌な予感が的中して、最悪の立ち上がりでストライクが入らず四球と暴投でランナーためてタイムリー・・・で試合が始まり、その後もエラー・ホームラン・四球・エラー・タイムリー・・・とても見ていられない状況が続き、気がつけば0−9で敗北確実状態に。レフトスタンドの真っ赤っ赤軍団は元気一杯で、立ったり座ったりの応援を繰り広げている。私の周りでは金返せと怒鳴り声が飛び交っていました。温厚な私は静かに試合を見守っていましたが・・。
 ただ、5回裏から超変革が・・・梅ちゃんのタイムリーでの1点は焼け石に水でしたが、6回裏それまで好投していた岡田君が何故か5つの四死球と3つのヒットで何と大量7点。7回裏も江越のヒットを起点に、15分の微妙な判定審議でセーフがアウトになったにも関わらず糸原・梅ちゃんの連続タイムリーで3点入れて遂に逆転・・・・気がつけば12−9の逆転勝ちです。何度か大量点の逆転は見たことありますが、0−9からの逆転は初めてです。
 この日、かみさんの誕生日でして、近所の串かつ屋さんに予約を入れていた都合で、実はこの軌跡の大逆転を最後まで見届けることができなかったのですが、私は勝てばそれでいいのです。自分が見ていて負けるぐらいなら、見ずに勝ってくれた方がいい^^; 何回まで甲子園にいたかは永遠に秘密ですが、昼間は奇跡の大逆転。夜はカミさんの誕生日を無事スパークリングワインで乾杯できた最高の一日となりました。


写真は、散髪したてのチョットカッコイイ愛犬。以下、写真とは無関係の文章。まだ小学生だった時に、何度も避難訓練をした記憶がある。日頃からリスクに備えるための訓練だ。ただ、3.11まで日本人は、敢えて?原発安全神話を信じて、何も対策をして来なかった。あの時、政権担当者がボンクラだったことが原因なのかもしれないが、放射性物質が流れる方向を察知するシステムを持ちながら、その方向へ避難させてしまったのは、日頃からリスクに備える姿勢が皆無だったからかもしれない。
『空母第一打撃群』などという物々しい戦争システムが朝鮮半島近海へ展開しているらしい。隣国に恵まれていない日本は、最近、様々な脅威にさらされるようになった。そして、あの狂気に満ちた電話頭が、飛び道具を豊富に揃えるようになり、時々ミサイルをぶっ放しては喜んでいる。と言っても、あの圧倒的軍事力を保持する米軍が本気で攻め立てたら、一瞬で勝負がつくのは間違いないのだろうが、問題は、その一瞬の間に何発か打たれた時に、ソウルだけじゃなく、日本にも飛んでくる可能性はないのだろうか。何故、こんなに緊迫した状況の中で、我々は、避難訓練のひとつもしないのだろうか。こんな時、憲法9条を奉っている皆様は、是非北朝鮮へ話し合いに行ってほしいものだ。

 



今日は亡き父の誕生日。生きていたら92歳。グーグルカレンダーは、絶対忘れることなく、この種のイベントを教えてくれます。決して私が特別律儀な訳ではありません。夕方から雨の予報が出ていて、朝から怪しげな雲行きだったので、若干不安な気持ちをかかえつつ、まずニューオオタニ大阪のレストランSATUKIに予約していた弁当(寧々のちらし寿司)を取りに行く。いつものスーパーで、スパークリングワインを買って、家に戻って、とっておきの酒(小笹屋竹鶴 生もと純米大吟醸 H24BY)を抱えて、毎朝の散歩で心に決めていた桜の木の下にスタンバイ。雨にも降られず、弁当も意外と美味しくて、酒も当然美味しくて、いい気持ちになって花見終了。春休みの息子と夜勤明けで腹をすかせた娘と、嫁と母。久しぶりの全員集合の宴となりました。今度はいつかなあ・・