今日は、父の命日です。(母方の祖母の命日でもありますが・・・。)あれから何年経ったのか。阪神淡路大震災があった平成7年ですから、もう18年。私は、当時38歳。もう、すっかり大人だったような、まだまだ青かったような・・。父は大正14年生まれなので、年齢は、昭和の年と同じで、計算しやすくて、父が、現在の私の年齢だったのは、昭和55年。この時、私は大分の新設医大の3年生です。学生生活を満喫していました。
 55歳の父は、無茶苦茶元気で、大阪でクリニックをしていて、昼休みには、当時心斎橋そごう5階にあった分院で診察していました。加えて、週2回はゴルフ、しかも当時は当然カートなしの歩き。ワン半回ることもしばしば。週に何回も、新地や祇園の往復?校医も4件5件掛け持ちしていたような気がする。何度か、飲み歩きに付き合いました。新地本通りの入り口にあった『ろんぽあん』その後は、『宴?』、祇園では、『佃?』『いな梅』『かごはら』『まちこ』・・・たっぷりアルコールが入って、夢うつつのまま連れ回されていたので、記憶は朧気・・。
 あれから33年経過して、私が55となり、息子は、もはや新設と呼べなくなった創設35年の同じ学部の2年生。ただ、私は、33年前の父とは比べ物にならない。ゴルフはカートに乗って月に1〜2回。新地も祇園も年に1〜2回・・。安くて旨い居酒屋がホームグラウンド。校医も2件が精一杯。馬力が違いすぎる・・
 今宵は、そんな馬力のあった父に思いを馳せつつ、冷蔵庫の奥で、あと少しだけ残っている一番旨い奴(「鷹勇」山廃純米吟醸 平成9BY(山田錦50%)9号酵母仕込)で、献杯。ああ無くなってしまう・・・