「みなとこうべ海上花火大会」に22万人、「なにわ淀川花火大会」には多分50万人以上が集まった日に、神戸で出席を約束した集まりがあり、大阪神戸を往復せねばなりませんでした。西梅田での勉強会を中途退席し、浴衣姿の若い人が目立つ大阪から同じような風景の神戸へ、大汗をかきつつ移動。
 ある私立医科大学の小さな診療科を三流から一流に育てたと誉れ高い理事長の退任謝恩会です。主人公は、昭和41年4月から50年4月までの9年間は第3代教授として、昭和60年1月から平成22年5月までの25年は、学長・理事長として合計34年以上の長きにわたり大学に君臨された、私にとっては雲の上の偉人です。(直接的関わりは皆無で、強いて挙げれば祖父の30年後輩、父のいとこの同級生?)
 私の恩師は、その次の教授で、当然私は北東方向に足を向けて寝た事はありませぬ。この両氏がこの教室を一流の教室に育て上げた功績については何度も何度も聞かされました。ただ、この第3代教授だけでなく、初代〜第5代まで全員、淀川上流から来られた先生で、よく問題にされる昭和9年から昭和40年だって淀川上流の方だったんですけど・・・。この手の話を聞くと、幕府を開国させた黒船・アメリカ式民主主義を強要したアメリカを思い出すのは私だけ?私は外部の人間なのでが、52回生相当。34〜43回生あたりの諸先輩とは思い入れが全く異なり、この温度差は埋めようがない。このような会の開催は難しくなった私の恩師の会であれば、熱くなったのは、私やK氏かもしれないですが・・・