相変わらずの高見さんだった。
無条件で優しい・・・・。本当に一生賢明、私の為に頚椎症性神経根症の原因・診断・治療・予防・・・について、学会の特別講演のように語ってくれた。電話をおくと、40分ほど経過していた。ちょっと呑み過ぎて、気分が悪く、若干拷問気味の40分だったのだが・・・。ただ、その間、悩みを抱える一患者が、その疾患について、理解して治療・予防・リハビリに専念する気が起きるように語り続けてくれた。紛れも無い高見ワールドだ。
 昭和53年春、南大分の豊饒の法華津(?)アパートの2階に彼はいました。その前にお風呂もないアパートに居たのですが、すぐにここへ引っ越してきました。私がいた畑中から歩いて10分ほど。テーブルも卓袱台もない4畳半の畳の部屋で、新聞を広げ、その上に怪しげな食材が並んでいて、ちびちびと酒を呑みながら、彼は夜遅くまで滔々と語っていた。大した経験もないのに恋愛について、人生について、酔いが回れば回るほど、終わりのない、起承転結のない話を滔々と・・・・。それを5-6歳年下の約20歳の私は、人生の道標のように、拝聴していた記憶がある。
 大学へ行く時、当時自家用車を所持している数少ない一人であった彼の車に便乗しようと、法華津アパートへ行くと、彼は干からびた蛙のように、4畳半に倒れている。生存確認の後、叩き起こして車に乗せてもらうのだが、この怪しげな車は、なかなかエンジンがかからない・・。アパートの駐車スペースから一般道へは若干下り坂になっているのを利用して、押しかけする寒い朝の記憶。・・・そんな記憶も鮮明に残っている。
 高見さんは、延岡で立派な整形外科クリニックを開き、まだまだ元気で手術もしているのだが、あの高見ワールドを毎日患者さん相手に展開しているに違いない。患者さんはきっと幸せに違いない・・・