出雲大社で行われた結婚式をきっかけに、神話をちょっとかじってみた。神話といっても、ちょっと分かりやすく解説したものだったが・・・。それによると・・・

『天つ神』⇒高天原に住む天上の神様(支配するもの):大和朝廷天照大御神
『国つ神』⇒地に昔から住む土着の神様(支配されるもの):出雲地方の豪族⇒スサノオノミコト大国主大神

スサノヲノミコト(須佐之男命)
ヤマタノオロチ(八岐の大蛇)を退治⇒ヤマタノオロチとは、毎年氾濫する川のことで、これを土木工事で水害を防ぎ、人々を救ったのがスサノオノミコト。また出雲だけでなく、北陸地方も治めていた・・
⇒その後も出雲は、彼の息子の大国主大神古事記では六代目、日本書紀では子供)が治めていた。紀元前1500年頃の話?

国譲り
大国主大神には二人の子供がいて、国を譲るかどうかは、子供が判断すると・・・
1,コトシロヌシノ神(言代主神)は、どうぞお譲りしますというが、その後自殺?
2,タケミナカタノ神(武御名方神)は、ニニギノミコトの使いのタケミカヅチノヲノ神と戦って敗れ、大和朝廷の勢力圏外の信濃諏訪湖へ・・(⇒諏訪大社の祭神となる。当時この諏訪湖あたりにも大きな勢力があった筈)
※つまり、穏やかな『国譲り』ってのは嘘で、恐らく凄惨な戦いがあり、戦って死ぬか、逃げるかどちらか・・・。一人は殺され、ひとりは戦った後、逃げ延びた。多分殺された・・・? その後、恨みが怖くて、大国主大神を祀る大きな神社を建てた⇒それが出雲大社

大和朝廷が、出雲を制圧した後の後継者が
天孫降臨(・・・天から降りてきたことにした)
1)天照大御神の孫・ニニギノミコトが日向の高千穂の峯に、天から降りてくる・・・・
移動手段は天鳥船(あめのとりふね)  
天皇の系譜
2)もうひとりが、天孫ニギハヤヒノミコト
移動手段は天磐樟船(あめのいわくすふね)⇒磐船神社の巨石 大阪府交野市私市9丁目19−1
物部氏の系譜で、豪族・ナガスネヒコ(那賀須泥毘古・長髄彦)の妹を妻にして、河内一帯を治めていた・・?
※そこへニニギノミコトの4代目の子孫・カムイヤマトヒワレビコノミコト・初代天皇となる神武天皇が西から攻めてきた。最初の戦いは神武天皇の負け。2度目の戦いは、紀伊半島を回って東から攻めて、あっさり勝利。
紀元前600年頃?

ヤマトタケル:征服された側の人間(オオクニヌシノミコトの系譜)は、当然戦いの場で最前線にたたされ、勝っても褒美などもらえるわけもなく、次から次へと戦いに駆り出される・・・。そんな、植民地化された出雲出身の軍人の総称だった・・・?

さきほど、千家国麿という出雲大社権宮司高円宮典子様と結婚された。彼は第84代出雲国造の長男らしい。出雲国造とは、出雲を治めた氏族のトップで、初代は、国譲りに応じたとされる大国主大神を祭った出雲大社の祭祀を担った天穂日命。つまり、千家さんは、2000年ほど前に大和朝廷に支配された側の子孫で、高円宮典子さんは、大和朝廷側の子孫。決して、神話のような穏やかな国譲りではなく、戦争だったとすれば、あれから2000年、ついに和解の時が来たのだろうか・・・。