久しぶりに、旧綴喜郡田辺町界隈に行ってきました。
昭和48年(1973)に、父親がいい加減な判断で『京都府綴喜郡田辺町松井ヶ丘1-7-2』に家を建てた。そこはまだ開発造成途中の住宅地で、港区弁天町の高校へは、京阪宇治交通の始発のバスに6時半に乗って、ギリギリ従業開始時間に間に合うというアクセスの悪さだった。数えて驚いたが、あれから40年以上経過している。当時、とんでもない古い車両が走っていた片町線は、学研都市線と名前が変わり、東西線福知山線とつながり、長尾まで複線電化され、高級そうな電車が走っている。各駅しかなかったのに快速が走っているし、長尾の次は無人駅大住だったのに、間に松井山手駅が出来ている。田舎の風情のある田辺駅は、コンクリートの味気ない京田辺駅に変わっていた。JR京田辺駅近鉄新田辺駅の間は、当時想像もできない町並みに変化していた。もう少し魅力的な変化の仕方はなかったのだろうか・・・
新田辺駅近鉄にのって寺田駅で降りて、500m歩いて、桂三枝改め桂文枝の独演会。久しぶりの『いらっしゃ〜い』を聴きに行ってきた。中学生の頃、ヤングおーおーで初めて見た記憶があるが、どちらかと言えば仁鶴のファンだった。三枝は女たらしのちょっと嫌な奴だったが、もう72歳。文化勲章までもらう大落語家になった彼の素敵な創作噺に大満足して帰って来ました。また行きたい・・

※因みに文枝は市岡中学・市岡商業出身だが、私は市岡高校卒です。