悲しい現実

 話し出すときりがないので、何も言いませぬ。皆、一生懸命戦っているのです。だから、何も言いませぬ。だから?、残りの酒を色々頂きました。『梅乃宿 純米吟醸 紅梅』、『生もとのどぶ(19BY・17号タンク)』、『特吟 呉春』の3本です。もっと呑みたい心境ですが、明日は、大事な大事な会合があります。私が、20年以上お世話になっている関西医大眼科に歴史的な一頁が開いたのをお祝いする集まりです。二日酔いでは、寛ちゃんに失礼になりますので、ほどほどにせねば・・・ とりあえず、明日絶対言えない祝辞をここに転載します。
『77年目に・・・
小さな出来事かもしれませんが、この夏、関西の私立医大眼科に新しい歴史の一頁が開かれます。
昭和3年に女子医専として誕生したこの大学の眼科では、伝統的に?とある川上の旧帝大から歴代教授を迎えることになっており、3代目教授の時に近代化し、4代目教授の類稀な牽引力により、おおよそ現在の形となり、5代目に超一流臨床家を教授として迎えましたが、何故か早めに退官されたのを受け、6代目を決めることになりました。
そして、昭和7年4月1日の初代教授就任から76年が過ぎ、77年目に入った平成20年、ようやく待望の自学出身教授を誕生させることができました。この医局出身者たちの願いがやっと叶ったと言えるでしょうか。我が事のように喜んでおられたM先生をみていると、やはり特別な思いがあるのかもしれません・・・。ただ、自学出身教授を輩出す為に、自学なら誰でもいいというスタンスをとることなく、教授を誕生させることができたのは医局にとって本当に幸せなことだと思います。
我々は、4代目教授が、めまいがするほどお元気であった就任9年目の昭和59年に入局しました。当時、教授の篤い信任を得ていたのはO講師。他大学出身の私は知りませんが、今回主役のT氏は、その卓越した優秀さ故、学生時代既に超有名人であったようで、謂わば、ドラフト一位のエース候補或いは4番候補として入局し、O講師の弟分として、或いは4代目の後継者として、道の真ん中を歩むことになりました(私やK氏は道の端っこを歩いていましたが・・・・)。特に黄斑部の網脈絡膜疾患の臨床と基礎研究に加え、伝統的な網膜剥離治療の継承、卓越した眼病理の知識の蓄積など、
4代目の後継は彼しかいないと思っていました。別に、次の教授が教室の伝統的専門分野を継承する必要はないのかもしれませんが、それでは、あまりに勿体ない。長い時間をかけて積み上げた歴史と伝統をステップにして、更に上をめざしてほしい。そう思い続けていました。そして24年以上経過し、ウイスキーでも泡盛でも、十分飲み頃の熟成状態?我々のエースが、教授に就任しました。決して順風満帆ではなく、経営状態が良好と言えない大学病院にあって、或いは、新臨床研修制度http://takeganka.exblog.jp/5348087
の影響で難問山積の医局にあって、棘の道なのかもしれませんが、まだ50前。誰に遠慮することもなく、基礎に臨床に教育に思う存分活躍してください。

この夏、6代目が就任します。私は、金はないですが、彼の今後を全面的にサポートします。彼は大人しく、私やK氏のように自己主張が明瞭ではなく、バランス感覚を重視する紳士です。だから、取り巻きがうるさいと彼を困らせるばかり・・・・?金は出しても、余計な口出しをすることのないよう心がけましょうね。
7月15日は、独立記念日?』