かつて、阪急ブレーブスが非常に強かった時代、60年代後半〜70年代後半でしょうか。監督は西本から上田。エースは山田。走りまくる福本豊。この頃、阪神は全然駄目で、阪急は、優勝するたびに売り場面積を拡張していたイメージがあります。69年阪急三番街が、71年阪急ファイブ、そして80年にナビオ阪急が出来ました。三角形の土地を生かして、船の舳先に見立て、ナビオ(宝船)と名づけたそうです。それまであった、北野劇場・梅田劇場を上層階に移設し、シネコンの先駆けでしょうか。3階にあるナビオホールが印象的でしたが、あまり行くともありませんでした。そのナビオが、なくなるそうです。
かつて、このナビオの南側は、OS劇場という非常に大きなスクリーンを備えた映画館がありました。映画好きじゃなかった少年時代に、数度行っただけですが、調べると、9.8メートル×19.4メートルの大スクリーンに、映写機3台で同時に映す、シネラマ方式だそうです。55年に開業し、91年までありました。梅田にタクシーで行くときは、OSまで・・・といつも父が言っていました。そのOSもなく、北野劇場跡のナビオもなくなる。梅田の中心は、やがて、大阪駅北側に移るのでしょうか・・・。時代の変遷を感じつつ、年老いて?50歳夫婦割引を使えるようになったのを思い出し、ナビオを訪れ、1本映画を見てきましたが、あまり面白くありませんでした・・・。DVDで、『鉄道員』でも見ようかな。