伝説の弾き語り師


 昨日は、高校〜20歳ぐらいまで、ある意味アイドル的存在だった伝説の弾き語り師に会いにでかけました。淡路から阪急電車で京都方面へ。左側の車窓から見える山並みは紅葉が色鮮やかで、東へ進むとそれが徐々に接近してきます。最も近づくのは、山崎を越えたあたりでしょうか。サントリー山崎工場は、色鮮やかな落葉樹に囲まれていました。そこから更に数駅京都よりの『東向日』という駅で降り、少し歩いたところに、「ほっこり弟国」というライブハウスがあります。この弟というのは、あの『高石ともや&ナターシャセブン』の坂庭省吾氏の弟の店という意味です。
伝説の弾き語り師を知ったのは、昭和48年にKBSラジオ圏内に引っ越して、ズバリクを聞きだしてから。あの頃、深夜放送ラジオを聴きながらの受験勉強というのが、定番の勉強スタイルで、時にカセットに録音しながら、放送に聞き入ってました(お陰で人より数年多く勉強する破目に・・・)。ギターを弾きながら、語り、歌い、時に浪曲スタイル、都々逸、芝居、モノマネなど・・・すっかりトリコとなり、昭和51年前後に2回ほど宵々山コンサートへ、昼下がりコンサートってのも行ったような。白亜の殿堂?『もろぐち亭』が出来ると、何度か足を運びました。あれから30年以上・・・。20前だったのが、50過ぎです。実は、開業して、数年経った時、「諸口あきらのイヴニングレーダー」という番組の医療相談コーナーの話があり、そこで、白内障とか緑内障のテーマで、ラジオに電話で出演し、二言三言話をする機会がありましたが、その時は声だけで、お顔を拝見してはいません。また、瀬田ゴルフのロッカーで一度、レストランで一度、顔を見る機会がありましたが、少し昔のイメージと違っていて、当然声はかけられず、今回30年数年振りに、お会いして声も聞ける機会を得たのです。 




午後3時半過ぎ、階段を上がり、ドアを開けると、椅子席10席ほどの小さな店で、その奥の席に怪しげな雰囲気の氏がおられるのです。全部で10席ぐらいしかなく、空いている席に座ると、氏との距離は1mほど・・・・近い。あまりに近い。でも気さくに氏に声をかけて頂き、ラッキーストライクの煙もたっぷりと浴びさせてもらい(副流煙で死んだ奴はおらん・・・という氏の持論)、雑然としたテーブル上の書類を裏返したり、戻したり、落としたり、拾ったり・・・・と、実に怪しげな行動を繰り返しつつ、ウクレレを手に取ると、俄かに歌い出す・・・と思ったら、語りだし、立ちあがってステージへ行くと見せて、語り始め、話は二転三転・・・・。いつしか、定刻を過ぎ、ライブは始まっているのか始まっていないのか、微妙な雰囲気のまま、実は始まっているのです。伝説の弾き語り師は健在で、語りながら、時に?歌い、急に虎造が顔をだしたり、絵描きの顔になったり、ジャーナリストになったり、気がつけば2時間以上経過しているのです。最後の方の『僕の島』?少し鳥肌が立ちました。最後に握手をして、もう一度、東向日か松原へ行こうと決意して帰ってきました。
諸さん、健康に注意して、一日でも長く、我々を楽しませて下さい。