アメフト

その昔、アメフトが面白いと感じ真剣に観ていた時期があった。昭和51・52年と、大阪ではなく、京都で浪人生活を満喫していた頃だ。場所的には、烏丸今出川百万遍銀閣寺あたり・・・。嫌でも、ほぼ毎日百万遍にあった京大のタテカンが目に入る。昭和51年に京大は当時145連勝していた関学に勝って注目を集めた。昭和52年、『涙の日生球場』の名勝負が行われ、徐々に強くなった京大は、昭和57年に関学に勝ち、昭和58年には甲子園ボウルで日大に勝ち、ライスボウルレナウンに勝って日本一になった。その後徐々に興味は薄らいでいったが、当時は、毎日見るタテカンと京大が強いということの意外性が強かったから興味を惹いたのかもしれない。確か水野監督時代。体格の良さそうな高校生に目をつけて、家庭教師に京大生がついて、選手を集めているという噂もあった。戦略性の高いスポーツなので、頭のいい京大が強いのかなあとも感じていた。京大は灰色のギャングスターズ関学が青いファイターズ、日大が真っ赤なフェニックス。いつも灰色を応援していた・・・・
 そんなフェニックスの選手の悪質タックル。状況だけみていくと、とても純粋で正直な告白をしているとしか思えない宮川選手。どうみても、自己保身に走り、真実を語っていないとしか思えない、井上コーチと内田監督。宮川選手に同情するタックルを受けた側の奥野選手と父親。彼らの言動をみていると、真実は明らかだろう。
学生のクラブ活動とは思えないほと大きくなってしまったアメフト部の監督が、巨大な大学において、権力が異常に集中してしまった常務理事であったことが、今回事件の大きな原因のような気がする。宮川くんが、再び元気いっぱいタックルできる時期が来ることを祈っている。