珈琲にハマる その1


初めて珈琲を飲んだのはもう50年以上前なのだろう。多分最初はネスカフェ中村吉右衛門遠藤周作のように、『違いのわかる』大人を目指したのかもしれない。高校生になってから、珈琲ショップ巡りをして、最終的にたどり着いたのは、心斎橋のMJB(エムゼービー?)だった(多分和田君の影響?)。当時は他に淀屋橋・上六?入れて3店舗あったのだが、今はすべて閉店してしまったようです。淀屋橋店だけは、長らく存在していたのですが、この時点で、ネット検索するとビックリ・・・。2017年11月30日に閉店となっていて、若干ショックを受けています。当時七色の珈琲といって、曜日によっておすすめの珈琲が決まっていた(多分少し安かった筈・・)。薄暗い店内で文庫本を読みながら、1杯の珈琲で何時間も粘ったのを覚えています。営業妨害少年だったのでしょうね。この名店も時代の流れには逆らえないのでしょう。スターバックスドトールにおされたのでしょうか。丁寧にドリップで淹れる老舗のショップの終焉はなんとも寂しいかぎりです。時の流れは、自分の長らく親しんできたものを押し流してしまい、目新しい見慣れぬ店や物に囲まれて、私もこの世から去っていくのだろうか・・・。
そんな暗い話を書こうとしたのではなく、少し前から新しい珈琲の世界を覗きつつあります。珈琲豆といえば、キリマンジャロモカ・ブラジル・・・・ブルーマウンテンなど産地というか生産国の名前で表されるのですが、よく考えたら、ものすごく大雑把な言い方で、どの品種の珈琲を、どの国の、どの農園で栽培して、どのように収穫して、処理され、選別されて輸出。焙煎して我々の手元に届くのか・・・と考えると、珈琲豆を単に産地の名前だけで呼ぶのは問題があるようです。世界各国で基準が異なるようですが、生産段階から精製過程にまで、品質管理がしっかり行われている、上質の珈琲豆をカッピングして基準を満たしたものを『スペシャティーコーヒー』と呼んでいるようです。まあ少なくとも、40年以上前に珈琲にハマった時には存在しなかった名称のようです。日本酒で言えば、何処のどんな種類の米で作られた酒かわからないものもあれば、琴浦町の杉山信一郎さんが丹精込めて作られた山田錦を、山根酒造場(蔵元:山根正紀、杜氏:前田一洋)で65%精米して7号酵母で醸した日置桜の『山滴る』のような・・・・成り立ちがわかっている酒をスペシャティー◯◯と呼んでいるようです。 日本酒の場合は、だからといって値段が高くありませんが・・・。スペシャティーコーヒーは、オークションにかけられて、高い(妥当な?)値段をつけることで、発展途上国の支援にもなっているようです。


珈琲の品種

  • アラビカ種

 -・ティピカ、ブルボン、ゲイシャ等(原種)※生産量は少なく、木が大きくなり収穫しづらく、病気にも弱いですが、コーヒーの風味は良い
 -・カトゥーラ、カトゥアイ、ムンドノーボなど(ティピカやブルボンから突然変異や自然・人工交配で生まれた品種)

  • カネフォラ種(俗称ロブスタ種)
  • ハイブリッド種

※世界で生産されているコーヒーは約1億3,000万袋で、アラビカ種が60%、カネフォラ種が40%の生産比率。豆の情報は https://www.specialty-coffee.jp/ から

収穫時期は産地によって異なり、

  1. 北半球の産地(10月〜3月頃)…中米、カリブ海エチオピアベトナムなど。
  2. 南半球の産地(4月〜9月頃)…ブラジル、ペルーなど
  3. 赤道直下(年に2回)…コロンビア、インドネシアタンザニアケニアなど

※同じ木でも、一斉に熟するわけではないようで、一度には収穫できず、熟したものから、ひとつずつ手摘みしているようです。

珈琲豆は、我々が手にすることができる生豆の外側には、外から果皮・果肉があり、その内側にはミューシレージというネバネバした部位があるらしい。この果皮・果肉・ミューシレージを取り除く作業方法にいつくかあり、同じ豆でも味が変わるそうです。

  1. 非水洗処理方法 (ナチュラル) 【収穫→コーヒーの実をそのまま乾燥→寝かせる→脱殻機にかける→生豆】 ※独特の香りや甘みがあるらしい。
  2. 水洗処理方式(ウォッシュド) 【収穫→果肉除去機(パルパー)で外皮と果肉を取り除く→ミューシレージを取り除く→乾燥させる→寝かせる→脱殻機にかける→生豆】 ※世界のほとんどの国ではこの生産処理が一般的で、比較的くせのない酸味のあるのが特長
  3. パルプドナチュラル(ハニープロセス) 【収穫→果肉除去機(パルパー)で外皮と果肉を取り除く→乾燥させる→寝かせる→脱殻機にかける→生豆】 ※1と2の中間。ミューシレージを残したまま乾燥工程へ。豆はミューシレージによって蜂蜜(ハニー)のようにベタベタしていて、この方法で作られる豆をハニーコーヒーと呼ぶ。ミューシレージの残存率によって、50%残存がイエローハニー。100%がレッドハニー。100%で糖度が高いものをブラックハニー。
  4. スマトラ式 【収穫→果肉除去機(パルパー)で外皮と果肉を取り除く→乾燥させる→半乾きの状態で脱穀→再び乾燥→生豆】 ※マンデリンはこの方法らしい。
  5. アナエロビコ(アナエロビック・ファーメンション) ※ミューシレージまみれにする?

・・・・
だんだん難しくなってきました。たかが珈琲ですが、されど 珈琲・・・
とあるショップのミャンマー産の豆は、これだけの情報が・・・

  • 国 名 / Country:ミャンマー / Myanmar
  • 地 域 / Region:シャン州ユアンガン / Ywar Ngan in Shan state
  • 標 高 / Altitude: 1,400 - 1,600m
  • 品 種 / Variety:カツーラ、カツアイ、サンラモン、s795 / Caturra, Catuai, San Ramon, s795
  • 精 製 / Process: ハニープロセス / Honey process
  • 焙 煎 / Roast level: 中煎 / Medium roast

一度、ハニープロセスのミャンマー産の豆を中煎りにして、いつものドリップで淹れてみようかな・・・^^;

夏のイベント2018


よく考えたら、今年で開業して20年目なのだが、特に特別なイベントをすることもなく、いつものように、お盆休み前・恒例の夏のイベントを開催。新しい企画を行う発想力も気力もないので、マンネリのボーリング大会(14回目)と美味しい食事が絶対条件の食事会。
ボーリング大会は、昨年に引き続き桜橋ボウルにて。一人50肩で見学にまわりましたが、9名の壮絶な戦いが(^o^) 今回の優勝賞品は、若干中高年には厳しいかもしれませんが、立派なサシの入った分厚いロースのステーキ肉。1ゲームあたりHD最高70という、院長特別の計らいにより、客観的には凡ゲームの泥試合が、手に汗握る思わぬ接戦に・・・。結果、『カドマノメガミ』さんが、出場8回目にして、悲願の初優勝。おめでとうございます。楽しい2時間を過ごした後に、梅田から東西線で鴫野経由今里へ。何故、いつも、不便な場所の店ばかり選ぶのかと怒られそうですが、30分以上かけて、今里へ移動して、当院イベントとしては、初めての『大阪まんぷく堂』へ。還暦過ぎの私には若干量が多かったが、非常にハイレベルな料理に満足しました。日本酒の品揃えが、若干私の好みと違う部分もありましたが、十旭日・大七神亀・天の戸・・・あたりは問題なく美味しくいただけました。


 開業して20年過ぎましたが、コツコツと努力を積み重ねる事が、医師としての最高のスタンスだと思ってますので、もうしばらく体力の続く間は、この調子で頑張ろうかな・・

Kimpai

最近は、呑みにゆくより、家で呑む事が多いので、このシステムは非常に有用だ。
美味しいお酒を入手する手段は、十分なレベルに達しているのだが、酒の肴は、なかなかハイレベルとはいかない。ところが、あの天才料理人O氏が、美味しい料理や食材を作っては直販するという、馴染みのないシステムに遭遇してしまった。もともとフレンチのシェフらしいのだが、なんでもできる感じ。以前、とんでもない大衆居酒屋という名のスーパー居酒屋をされていたのだが、1000日ほど、銀座8丁目で高級料理屋をして大阪へ戻って来られたようです。

  • 《ゴマの葉香る、渡り蟹のケジャン》
  • 《オマールブルーのアメリケーヌソース》
  • 《和牛のタンの欧風カレー》
  • 【完全無添加XO醤100g】
  • 無添加焼肉のタレ350ml】
  • 純胡椒Lサイズ
  • 【ちりめんぶどう山椒50g】
  • 無添加北海道産きんきの一夜干し2枚】
  • 【自家製熟成ベーコン300g】
  • 鯨ベーコン200g
  • 塩ウニ
  • 【グルクンの分化干し】
  • からすみ
  • 姫ますのマリネ 

次は何かなあ・・・

アメフト

その昔、アメフトが面白いと感じ真剣に観ていた時期があった。昭和51・52年と、大阪ではなく、京都で浪人生活を満喫していた頃だ。場所的には、烏丸今出川百万遍銀閣寺あたり・・・。嫌でも、ほぼ毎日百万遍にあった京大のタテカンが目に入る。昭和51年に京大は当時145連勝していた関学に勝って注目を集めた。昭和52年、『涙の日生球場』の名勝負が行われ、徐々に強くなった京大は、昭和57年に関学に勝ち、昭和58年には甲子園ボウルで日大に勝ち、ライスボウルレナウンに勝って日本一になった。その後徐々に興味は薄らいでいったが、当時は、毎日見るタテカンと京大が強いということの意外性が強かったから興味を惹いたのかもしれない。確か水野監督時代。体格の良さそうな高校生に目をつけて、家庭教師に京大生がついて、選手を集めているという噂もあった。戦略性の高いスポーツなので、頭のいい京大が強いのかなあとも感じていた。京大は灰色のギャングスターズ関学が青いファイターズ、日大が真っ赤なフェニックス。いつも灰色を応援していた・・・・
 そんなフェニックスの選手の悪質タックル。状況だけみていくと、とても純粋で正直な告白をしているとしか思えない宮川選手。どうみても、自己保身に走り、真実を語っていないとしか思えない、井上コーチと内田監督。宮川選手に同情するタックルを受けた側の奥野選手と父親。彼らの言動をみていると、真実は明らかだろう。
学生のクラブ活動とは思えないほと大きくなってしまったアメフト部の監督が、巨大な大学において、権力が異常に集中してしまった常務理事であったことが、今回事件の大きな原因のような気がする。宮川くんが、再び元気いっぱいタックルできる時期が来ることを祈っている。

S坊J郎氏のメルマガで、すっきりした・・・。以後殆ど受け売り^^;

禁教令は秀吉も出しているが、より徹底されたのは江戸時代の慶長の禁教令(1612年)以降でしょうか。禁教の徹底に伴って、キリスト教徒は転向するか隠れキリシタンとなっていく。以後250年以上の長きにわたり、隠れキリシタンは、決して発見されることのないスタイルを身につけたのでしょう。そして、明治6年1873年)禁教令が廃止された後、隠れキリシタンの多くが洗礼を受けてキリスト教徒となった。この人達が潜伏キリシタンで、彼らが明治以降に作った数々の施設が世界遺産として認定されるようです。
ただ、ごく少数ですが、明治6年の禁教令廃止以降も、カソリックの洗礼を受けることなく、禁教令下で250年以上続けてきた信仰スタイルを現在でも維持している人たちいるらしいのです。本当にごく少数で、長崎に数百人ほどおられるようです。禁教令下のスタイルなので、全ての儀式が秘密裏に行われて、その全貌は明らかではありません。彼らこそ、日本遺産として認定したい気がする。

 その日は、カミさんが食事会でお出かけなので、老いた母と二人で晩御飯。以前は、子供を引き連れて、絶品焼鳥の『うづら屋』へよく行ったのだが、この店も無くなって数年。何処へ行こうかと悩んだ末、赤酢の鮨屋へ。淡路の奇跡的な鮨屋はまたもや予約がとれず、チョイスしたのは、京橋の すし処 広川
赤酢の鮨は合格点なのだが、酒のチョイスが・・・・惜しい・・。豊盃は吟醸香が食事の邪魔で、九頭竜燗酒用らしいが酒の旨味が感じられず×××^^; 


結構高い鮨屋だが、母はいつまで覚えてるのだろうか・・


久しぶりに美味しい天ぷら屋さんに出会った。まだ若いがストイックな感じのする店主で、美味しいだけじゃなく、居心地も良かった(ここが肝心)。最初にお椀が出てきて、間違ってるかもしれないが、利尻昆布とまぐろ節の出汁の中にクレソンと一緒に入っていたお肉は『ツキノワグマ』だった。エッと思ったのだが、この熊さんにノックアウトされた。本当に美味い。つかみは100%OK。この体験は、もう30年以上前に、赤坂の『楽亭』に入り、『石倉楫士』という凛とした料理人の立ち姿に圧倒された後、、付き出しとして出てきた『イカ塩辛』の美味さにノックアウトされた時と似た気分だ。30年以上前のイカの塩辛に匹敵するインパクトのツキノワグマだった。お酒のチョイスは若干問題あるものの、及第点。また行こう。